とりとめもないタイトルです。最近、神田松之丞にハマり、講談や落語にハマっている年末。いやー、ハマってますねぇ。夜寝るときも落語聞いて寝たりしています。いろんな人の「らくだ」を聞いてみたくなったりし。渋いなーと自分も思いつつ、、笑
もともと落語とか寄席とか好きで、若い頃は新宿末広亭に会社帰りに行っていたり、江戸もの小説も好きだったりしたんですが、本業のデザインがとてつもなく忙しくなり、さらに子供もでき、、っっっていう言い訳と共に、遠ざかっていたんですが、、、
100年に1人の天才とか、日本一チケットの取れない講談師、ラジオが面白いとか何それっ!誰それ!って、ラジオを聞いてみたら、愚痴ばっかりのラジオなのに人間味があってめちゃめちゃ面白い。言い過ぎたりして反省とかしてるけど、芸にだけは熱くて。それだけはすごく熱いものを感じ。こんな面白い人の講談を聞いてみたいなー、そもそも落語は知ってるけど、講談ってどんなんだっけと聞いてみたら、、、面白いったらありゃしない。そうか、落語とこう違うのか、と。
講談と落語の違いも知るとなおさら面白く。
落語は会話と会話で話が進むが、講談はナレーションで語っていく。落語は、フィクションだが、講談はノンフィクションが多い。落語は、ちょっとダメなやつがでてくる話が多く、講談は、宮本武蔵のような英雄がでてくる。。。など。でも同じ演目を落語でもやるし、講談でもやったり。そして同じ演目も語り手によって演出変えていたり。いやー奥が深い。知れば知るほど面白い。
神田松之丞の講談も、まくらで私たちにわかりやすく冗談交じりに説明してくれるのもわかりやすく、入りやすかったのかもしれない。
で、実際にチケット取ろうとしても、本当に本当に本当に、取れない。即完売なんです。いやーびっくりです。が、11月に運良く新宿末廣亭でも見れたし、先日、渋谷らくごの卒業講談にも機会があり行けて、聞きたかった「中村仲蔵」が聞けたんですよねーーー。いやーうれしかったーー。
「中村仲蔵」は、江戸時代の歌舞伎役者の話で、血筋でもない出の役者が、芸と機転で中村を背負う名役者になっていく話。当時では「血」が一番大事なので、異例中の異例。調べるといろんな人がやっていますが、落語も多く、林屋正蔵師匠、三遊亭圓生師匠や志の輔師匠などもやっていました。you tubeでいろいろあがってるんで、本当に良い時代。圓生師匠のも笑いも入れつつ、さすがに上手でしたが、松之丞さんのはひと味また違いました。すごく、、、、感情的というか感傷的というか、劇的な演出でした。
ま、落語と講談で違うのもあると思いますが、語りにメリハリがあり、たぶん構成もわかりやすい部分だけ抜粋しているのも上手いのか、ぐいぐい引き込まれ、椅子に座っていても、気づけば、前のめりで聞いていました。だらだらして聞けません。
役者に対する仲蔵の熱がふつふつと伝わってきました。“血”のせいで馬鹿にされ認められず、くやしくてくやしくて、“血”に負けないアイデアを常に考え、新しいことを舞台でやっていき、だんだん認められて名代になり、名役者にまで上り詰める、熱い熱いお話で、、、、仲蔵に感動しました。そんな役者見てみたかったなとさえ思いました。
デザインも同じだなーと思ってこの話が好きなのかもしれません。
芸はうらぎらない。デザインもうらぎらないんです。
“熱”があるお仕事ができれば、必ず返ってきます。すべては熱情の多さな気もします。
今、働き方改革とかで働きやすくなっていますが、、、“熱”があるとそんな時間通りに終わらないんですよね。それは仕事ではなく、人生をやっているから、というか。もちろん、身体をこわすくらいの無理強いはいけないのですが、やりたいときはとことんやってみると良いのかと思うんです。
いずれ、自分で、一旦空気を吸ったほうが効率が良いなと気づくんですが、やってみないと気づきもしないと思うんです。
私も無駄なことかなーと思うようなことを、いくつもいくつもやってきたし、家なんかに帰りたくなくてずっと会社でデザインしていた時期もありました。どちらかというと、手を止めたくないんですよね。
もっと、もっと、もっと、上手くなりたい。ずっとやっていたい。
いっつも、そう思っていました。
もっと、もっと、もっと。
“熱”は“欲”ということなのかもしれません。もっとも器用じゃないせいもあるかもしれません。
最初に世界観をつくるときが一番楽しいんですよね。お題をいただいて考え、新しい世界観ができるときの、脳内麻薬が出る感じが一番たまらない。
出るまでドキドキします。あー、まだグッとこないなー。。どうやったらグッとくるだろうか、、、そればかりを考えて、寝られないくらいになり、焦ったあたりにポロリとできたときの快感たるや否や。
そして、またそれが、クライアントに見せたとき、、、、どうだろう、気に入るだろうかダメだろうか、、、というドキドキと、ドンピシャだったときの快感がまた、やめられないというか。
好きだなー、デザインって。って思ったりして、それの繰り返しだったりします。
あーー、長くなりましたが、なんだか仲蔵の話はそんな“熱”と似ていて(稀代の名役者なんで恐れ多いですが)、熱は絶対にうらぎらなくて、熱とアイデアで上にのぼり詰めた仲蔵がキラキラして見えて、よかったねーと、純粋に思い感動したんだと思います。
なんて面白いのか、講談。なんて面白いんだ、松之丞。
2019年年末。
来年も熱だけは忘れないようにデザインしていこうと心に決めた渋谷の夜でした。
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